院内地域づくり協議会 秋田県最南端の町・湯沢市院内地区の紹介

院内・湯沢の歴史・ふるさとの歴史の紹介

院内と言えば院内銀山と言うほど有名であり、院内の歴史はまさに院内銀山の歴史にほかなりません。
しかし、院内銀山の歴史は文献などが多数存在し、詳しく明らかになる一方で、銀山開山以前の院内についてふれられた書物は少なく、歴史に空白が多く存在します。
ここでは、周辺地域を含めた院内と湯沢市雄勝郡の歴史を御紹介します。
(随時加筆修正します)

縄文時代

院内の歴史は古く、岩井堂洞窟の発掘調査などから縄文時代にはすでに定住する人がいました。全長約80mの大小4箇所の洞窟に、かなり長期間のあいだ住居と利用されていました。岩井堂洞窟での縄文人の生活は、院内銀山異人館にジオラマとして展示されています。

8世紀

続日本記によると、8世紀中頃までには朝廷から命を受けた将が出羽の国雄勝)に柵(小規模な城)を築き、住人を従わせています。
この雄勝城は旧雄勝町にあったかは不明ですが、雄勝郡域にあったといわれ、朝廷が北方の蝦夷の反乱を防ぐために建設させた重要な城であったと考えられています。

9世紀

811年 院内愛宕神社開基。これより現在に至るまで、院内住民の信仰の対象として愛されます。
この時期には、出羽の国の蝦夷はたびたび反乱を起こし、朝廷はその鎮圧のために京より官を置き地の平定に努めています。
また、古今和歌集には小野小町の和歌がおさめられています。小野小町は、京から最果ての地である出羽に赴任した小野良真の娘といわれ、9世紀中頃に歌人として活躍しました。絶世の美女といわれる小町は、雄勝の地に数多くの伝承を遺しています。毎年6月の毎年6月の第2日曜日に「小町まつり」が開催され、全国各地から多くの観光客が訪れます。

11世紀

1051年には、前年に赴任した平繁盛が安倍頼良と雄勝〜鬼切部にて合戦し、院内も戦場になったとされております。

14世紀

1379年 院内地蔵権現供養開眼

16世紀

1583年 松根城一揆
1595年 関白豊臣秀次の失脚とそれに伴う最上・伊達の遍塞を奇貨として小野寺義道は雄勝旧領を奪取。かつ六郷に出戦。8月、最上満茂は雄勝に兵をいれ、役内・中村・寺沢・院内・横堀・小野を攻略して湯沢に入る。
1600年 関ヶ原合戦 最上、小野寺を攻め雄勝に出兵。山田次郎、奥山玄蕃の守る院内法領館を攻める。

17世紀

1602年  薄井村七郎左衛門、はじめて院内に鉱山を発見し試掘する。
1606年 村山宗兵衛、院内銀山を発見。秋田蕃は宗兵衛を山先とする。
1607年 銀山開鉱。初期労務者概数7千人。秋田藩は銀山奉行を定める。徳川家康に院内銀を献上。
1613年 出羽に切支丹信仰広がる。
1617年 切支丹への弾圧、銀山に波及する。
1623年 雄勝山信翁院開基。

18世紀

この時代は天候不良により飢饉が相次ぐ。秋田県でも餓死者が大量に出る時代であった。
1733年 愛宕仁王門建立
1742年 院内銀山の産額が全国第二位となる。
1755年〜1757年 大飢饉により庶民窮乏
1782年 大飢饉

19世紀

19世紀前半、院内銀山は再び隆盛となり、「東洋一」と呼ばれるようになった。
江戸や大阪から、芸妓、落語家、講釈、役者などが訪れ、院内は活況を呈した。
1801年 院内大洪水
1842年 この年、銀山の人口は1万5千、戸数4千戸

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